
小さい出会い、長い付き合い vol.5 「ぐいっと呑むもの、呑まないもの」
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惹きつけられるように、何気なく偶然出会った“もの”が、生涯の相棒になったり、特別で忘れられない贈り物になったり。そんな、不思議な「ものとの出会い」をエッセイストの中前結花さんが綴る連載エッセイ「小さい出会い、長い付き合い」。今回は、お父様とお父様の友人に贈った錫(すず)のぐい呑みのお話です。
自分には、到底起こるはずもない——。
そう考えていたことが、不意に目の前にパッとあらわれることがある。
久々に訪れたわたしの“それ”は「結婚」で、そこからはなんだかもう芋づる式だった。
兄妹のなかったわたしに、突然と妹や姪ができたこともそのひとつだ。ひさしぶりに「おかあさん」と呼ぶ人までできて、また「母の日」がたのしみな1日に戻った。
市役所にも何度も足を運んだり、「記念だから」とちょっと高価な指輪を作ったりもした。
何より、ちょっと良い和食屋さんで「両家の顔合わせ」なんてしたことは、なんだかふふふと我ながらおもしろかった。
まさか数年前まで勤めていたオフィスのビルで、昼食をとる日が来るなんて。
こんな「普通」がわたしの人生に待ち受けているとは、夢にも思っていなかったのだ。

父は、亡くなった母の写真を携えて東京へとはるばるやってきた。
けれど、お供はそれだけではない。なんと、父の小学生時代からの同級生であるA君を引き連れ、「東京をどんなもんか見たろうと思ってな」とおじさん2人で肩組むように仲良くやって来たのだ。
父は兵庫県の山奥に生まれた男である。
それから大阪で長く勤め、今は奈良で住み込みの「マンションの管理人のおじさん」をやっている。父にとって、東京は遠い。
長年「結婚はしないから、そのつもりでいるように——」と言い続けてきた娘の突然の結婚にあたっては、マンションの住人たちから「こうするものよ」「こうするのがマナーよ」とあれこれお知恵を授かったらしい。
「なんでA君と一緒なの?」
「せっかくやから、東京観光もした方がええやろ」
「言ってくれれば案内したのに」
「あんまり手を煩わせたらいかんからな」
それも父なりのマナーらしかった。
さすがに顔合わせの席にA君が来ることはなかったけれど、その日の夕飯は奇妙なことに、わたしたち夫婦と父とA君の4人で寿司を食べることとなる。
「夕方から、“江戸前の寿司”というやつを食うてみたい」
これもマンションの人たちのお知恵なのだそうだ。

ずいぶんと満足してくれたのは良かったけれど、そこで父とA君はずいぶんと日本酒で出来上がってしまった。
「那須高原に旅行に行ったときは—— 」
「お前があの車を買うたのは—— 」
25年以上も前の話を、つい昨日のことのように話しては「ははは」と上機嫌に笑っている。そういえば、わたしの幼い頃は度々A君も家族旅行に参加していたっけ。
家族を作らなかったA君は、半ばわたしたち家族の一員のようなものでもあった。けれど、わたしも大きくなり「家族旅行」らしきものが無くなってからは、そんなことを感じる機会も失っていたのだ。
「続きは、うちで飲めばいいんじゃない?」
そう言ってくれる夫のやさしさに感謝して、酔っぱらいの父とA君を自宅へと連れ帰る。

そこからはさらにと二人の口数も増え、「はたしてこの宴会は終わるのだろうか」と徐々に不安にもなってくる。話題は、ああでもない、こうでもない、と30年も40年も遡っていくのだ。お開きにしようかと、
「わざわざ来てくれたから、これお土産にして」
そう添えて、わたしは錫(すず)でできた「ぐい呑み」を揃いでふたりに贈った。慣れない東京への旅の感謝のつもりだった。けれど、
「こりゃあええなあ」
「こりゃあええ」
どうにもそれは逆効果で、ふたりはその場で使いたいと言い出し、日本酒をなみなみと注いでは何度も何度も飲み干していた。

「より能(よ)い鋳物を、より能(よ)く作る」。『能作』と名付けられた富山生まれのその酒器は、きらきらと涼しくよく光る。上機嫌なふたりの顔に似合っていた。

そして、父以上に酔いの回ったA君は、なぜだか突然「朝食はフレンチトーストが好きだ」と話し出す。甘い口当たりの日本酒で、そんなことを思い出したのだろうか。挙句、
「ふたりが喧嘩をしたら、翌朝にはゆかちゃんがフレンチトーストを作るように」
と、謎めいた約束までさせられる始末だ。
「仲直りにはおいしいものがいちばん」
「どんなに腹が立っても、朝ごはんはおいしいものを作って仲良くするといい」
何度も何度も言うものだから、「はいはい」「わかったわかった」とわたしたちは適当な加減に頷いてやり過ごすのだった。

長い時間を経て、ようやく腰を上げてふたりはホテルに帰ると言うから、見送りがてら、ぶらりぶらりと夜の街を4人で歩いた。
駅につけば、たくさんの人が改札の中に飲み込まれていく。
「じゃあ、気をつけて」
「じゃあ仲良くな」
そう言ってふたりの背中を見送ろうとすると、ふと父が振り返って、初めて彼に握手を求めて、
「また会おうな。気楽にやりや」
と言った。そしてわたしの肩をパタパタと叩きながら、
「まあ、朝めしなんてもんは作ってあげたい方が作ったらええ。どっちがせなあかんということはないから。やってあげたいことをやってあげ。なんでもそうしいや」
そんなふうに言って去っていった。
なあんだ、そんなに酔ってないんじゃないか。
きっと明日には憶えていないA君を連れて父は改札の奥に消えていく。
真夏の夜みたいな4月のことだった。
中前結花
エッセイスト・ライター。元『minneとものづくりと』編集長。現在は、エッセイの執筆やブランドのコピーなどを手がける。ものづくりの手間暇と、蚤の市、本とコーヒーが好き。
Twitter:@merumae_yuka
